掛け違えたボタン
From:森兼
休日の朝。
あなたにはこんな経験はありませんか?
昨日の夜は会社の同僚と
夜遅くまで飲み明かしていたので
若干、二日酔い気味だ。
さらに日頃の睡眠不足を解消すべく
いつもより長い時間眠りたい。
もちろんぐっすりと眠りたいので
目覚まし時計などセットしてはいない。
しかし、昼から人に会う予定がある。
だから昼前には起きて
出かける準備をしなければならない。
ところが、目が覚めると
予想以上に時間が経っていて
既に約束の時間が迫っている。
あなたはあわてて出かける準備を
するハメになってしまった。
幸い準備を手早く済ませて
なんとか時間には間に合いそうだ。
しかし、出かける前に
ちょっとした違和感に気付いてしまった。
あわてて服を着たので、
どうやら最初のボタンを
掛け違えてしまったらしい。
こうなると非常に面倒なことに
全てのボタンを外して
最初からやり直しだ。
簡単な確認を怠った代償に
余計な手間を増やしてしまったわけだ。
僕たちの普段の行動も
これと似たようなところがある。
何事も簡単な確認を怠って、
間違ったスタートから
間違った行動を続けてしまうと
間違った結果にしかならない。
もちろん、間違って服のボタンを
掛け違えてしまったとしても
いずれはその事実に気付く。
だから、それが分かれば
一旦全部のボタンを外して
間違いを直せば特に問題はない。
しかし、間違いを起こしてしまうと
その間違いを修正するために
余計な時間を費やすことになってしまう。
鏡の前で服を着るだけで
そんな簡単なミスは
回避できるにも関わらず。
ときどき自身の行動を振り返って
掛け違えたボタンがないか
確認してみるのもいいかもしれません。
立てた目標に無理がないだろうか?
正しいコーチに師事しているだろうか?
合わないやり方を無理に続けていないだろうか?
ーマーケティングディレクター 森兼
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初めてコメントさせていただきます。
いつもインスピレーションいただいてます。ありがとうございます。
目標をたて、やってみて評価して、修正して又、Go!!
いつもそんな感じで繰り返して二回目の成人式を迎えてます。
この評価の中に結果の良しあしや達成度だけではなく、
「立てた目標に無理はなかったかな?」を入れてみるだけで
自分に対する優しさがずいぶん、違ってくるのかな・・とふと思いました。
自分に対する優しさをもつ事で周りにも苦しさを与えない。
あんまり、がんばりすぎている人を見ると苦しくなるから。
場違いなコメントだったらすみません。
たしかに・・・
しかし、間違いはやってみないとわからない。
自分に合うコーチか合わないコーチか、時間をかけ教わらないとわからない。
合っているか間違っているかなんて
やってみなきゃわからない。
ってことで、まずやってみるが大前提ということですね。
誰かが言ってましたが、人生78点がベストと。
完璧主義は自分をも的にするのでご用心を。
10年くらい前でしょうか……
あまり新しい本を買わなくなりましたね。
ナマイキを言うようですが
ヒトという生き物が言葉を通して表現できる限りの
読むに価するものは もう読み尽くした
という実感があったもので……。
なので
現在 ときどき買う書物は
娯楽目的で読むSFやゴシックものが多いです。
というわけで
これまでに読んできた数多書物の山が
人前で勝手に喋りだすほどの “検索エンジン”……
「3倍返しのペダント」 こと
亀谷 稔でした。
立てた目標に無理がないだろうか?
正しいコーチに師事しているだろうか?
合わないやり方を無理に続けていないだろうか?
これって、考えてしまう。
無理なことをしているのか、、不安になる。
コーチにつきたいけど、、どんなコーチがいるのかも、
わからない。
オハヨウございます!本日もメッセージ有難う存じます。
以前、掛け違えたボタンは、すぐに掛け外せ!という事を生き方においてアドバイスしていた人がいました。うすうす掛け間違えたと気付いていながら、なかなか変更せず、そのままやり続けてしまうことが多いからでしょう。
例え掛け間違ったとしても最初の3つ目のボタンで気付くことが出来れば、引き返す時間は少なくて済む。義理や人情が判断を鈍らせることもありますよね。
リーダーが優れていれば良いが、かりに間違っていてそれに続くものが意見を聞いてもらえないような環境は最悪であります。人は親分肌を見せたい欲求が少なからずありますが、微かなおや?という意見を掬い上げる人がいなければ、その気付きは埋もれてしまいます。それが重要だと思える感性がなければ何も変われないのですよね。上に立つものの責務は重大です。
そして聞く姿勢、話し合う姿勢、日本には敬語文化があって、余計に本音を言いにくいというようなところがありますが、それでは国際社会に乗り遅れる、歯に衣を着せずに堂々と目上に物を言える文化、喧嘩ではなく、建設的に議論できる風土のような物も育てていかなくては、今のままの国会のあり方なども含め、前に進んで行きません。日本語の利用(弱点を克服する)を進化させることも急務です。
家庭も然り、両親が優秀であれば子供は日常生活の中で学習する機会が多い。私達は、生きるスタート地点において、何を奨励し、何を嫌い、何を馬鹿馬鹿しいと思うかそういったことすべてを影響を受けてしまうのである。まず、親を超えなさいという本が出ているが、読んではいないが、親というかかけがいのない存在でありながら、将来において害を受けることもあることに気付こう!という内容の本。
親と子という学問をもっと発達させてはどうかと思う。親は最初の人生のメンターとなる。その水準が上がれば、コンセンサスが上がり、政治家も育ち、国・社会は良くなるのではないか。
なまじっか変な知識があるから、本当のことが見えないことも多いそうである。個人の幸福と社会の幸福は連動しているからそれぞれが何を意識するかは重要である。
人生で親以外のカリスマコーチに出会えた人は、本当にラッキーだと思います。イチローと扇監督ではないですが。人間は人間によってしか育てられない。熊に育ててもらうわけにはいかないわけですから(笑)。師と仰げるような存在が相対的に多くなれば良いですよね。
幸田露伴の家庭の家事の躾は凄まじいものがありますが、そこには本気という愛情が感じられます。その後、幸田文さんは父は人生の楔のようなものを与えてくれましたと言っています。体ごとかかれ!、腰が入っておらん!などという言葉が飛んでいたとききますが、ここに精神と身体の使い方という東洋的な思想のことも考えさせられます。。。
塾にいたれり尽くせりの夜食付きで通う小学生が、本当の大人物に育つかどうか、アメリカの大リーグでは博士課程修了者も多いそうです。日本では考えられないですよね。日本にも文武両道とう言葉が理想論として皆知ってますが、身体論、腰腹文化の大切さというのを斉藤孝さんなどが言っておられますが、精神の鍛え方が昔の人はまるで今と違っていたのかなと思います。
書物だけを齧ることでは得られない、身体を通して学ぶことの大切さ。労働して身につく精神力が、考えるときの屋台骨になったりする。
武道では構え、というのがありますが、まず型から入るという言葉のように、最初の構えの段階で既に結果は見えているような気がしています。構えとは準備、心構え、精神の集中、、、とでも言いましょうか。その時何が見えているかということ。しかし構えをまず知らなければ、構えられないというのも事実です。つまり構えを教える人が必要だということ。そして練習すること見に付けることが重要。そして一旦身に着けてしまえば、色々なものに取り組むとき足りないものがよく見えてくる、自分のほうに美しい正解があるので、そのイメージに近づいていくことが出来る。周囲の人に教えることが出来る。
皆さま、どの様にお考えになりますでしょうか?感想をお伺いしたいです。メンターとなるべく親になる資格試験がないこと、簡単に親に成れてしまうこと、親馬鹿で常識がないこと、ろくな大人がいないこと、学校の先生が既に教育が不完全、お粗末な場合が多いこと、エリートといわれる学校を出ていても人間的な豊かさに欠ける人が少なくなく、レストランで美味しく落ち着いて食事が出来ない人が多い事、そんなんでこの国はいいのでしょうか???大学の先生でさえ簡単に成れたり、趣味の世界に走り、茶髪にしたり勘違いしているお方も多い事、真面目を馬鹿にしたり、何でも良かれとする空気、TVも関西風に押されもう品も何もあった物ではないですよね!もっと恥の文化があったはずです。それはまずいだろうという。何かを履き違えてきてしまったのではないでしょうか?TVの大衆の知性に与える影響は絶大です。モラルの低下こそがもっとも危惧すべき問題です。日本は子供に甘いといわれますが、放任とか厳しくすればいいと言うものではないですが、もっと目を光らせる大人がいてこそ社会はうまくいくのだと思います。
物事を判断が出来るということは、何が大事かといういわゆる教養のような物ともいえますが、一朝一夕にはできない物なのでしょうか。人間が生涯にわたって育つということは、皆が影響しあっている訳なので本当に必要ですし、私も、このままではいけないという思いを抱えています。あらゆる意味においてバージョンアップしていきたい今日この頃です>>>女性の生き方についても触れて頂ければ嬉しいです☆わたしは、最近女性が幸福な社会は良い社会なのではないかと思います。男性に反感を買われるかもしれませんが、毛沢東が天の半分は女性であるというような言葉を残しています。つまり、男性も下はといえば母体から生まれてきていて、女性という生命の源が涙を流さずにいられない社会は決してスマートではないと思います。女性をどの様に位置づけられ、社会で役立てていくかということは、本当に大切だと思います。そこまで大きく男性が捉え方を変え、意識を変えていけば、パートナーシップが変わり、社会のあり方も変わると思うのです。女性の皆さんも自分の性を大切にし誇りを持ち、男性を成長させるように促さなければなりません。互いに媚てどうしようもないところまで行っている様な気がしてなりません。男性学というのが、最近私は必要に思います。小学校から保健体育以外は、ほぼ同じ学び方をして教育を受けます。ただエッチな意識だけ発達させるのではなく、男性の歴史(女性蔑視の事実)、男性のあり方、男性として生きるということの意味、そういうことに意識的に成れること、原始的な世界からより民度の高い人間になるために、国語算数理科社会と併せて、これまでのそういう性差の歴史のような物を合わせて学ぶことが必要に思います。そういう歴史を辿って今の社会があるんだという。力も知力も勝っているからゆえに、どの様に社会をリードし、創っていくのかという考え方のような事を教えないと、古色蒼然みたいな人を21世紀にして作ってしまうと思うのです。女性に対する意識の洗練とでも言いましょうか。 医学的に冷静に考えても、良い子供を育てるためまずに母体の健康ということがあること、女の子は皆その萌芽であること、胎児の頃の胎内環境から将来の体質まで決定付けられてしまう事実、両親の仲がよければ虫歯になり難いと言う事実、母子をもっと神聖に扱うべきです。栄養の知識もこれだけ分かってきています。タバコの害、お酒の害(日本は特にモラルが低いそう)、そういうもので憂さを晴らすのではなく、建設的な方法で解決する大人の選択、それが医療費の削減に繋がったりすること。
単に科学技術立国、経済大国という目標だけではなく、性を含めた意識のうえでも次の次元の先進国でなければならないと思います。
別にフェミニズム論を説こうというわけでは毛頭ないのですが、男女が良い関係を築くということもこの世の大きなテーマではないでしょうか。
ボタンからかけ離れてしまい、申し訳ございません。
昔コーチについてもらったことがあり、
方向性を決める時に役立ちました。
確かに、行動のチェックは常に必要ですね。
自分を振り返って見ると、メンターと呼べる
人はいないですね、でも、きっと自分で思っていrつだけで、
真剣に探す事をしていないのだと思います。
自分の人生をよりよくするために、
全ての行動をチェックしてみますね。