カリフォルニアのチェリー・ピッキング
from 杉本
家族で、カリフォルニアに、
住んでいた時のことです。
ある日、「チェリー・ピッキング」という、
新聞の広告文が、
目に飛び込んできました。
「サクランボ狩りに行きたい人!!!」とたずねると、
全員が「は〜い」と答え、
次の土曜日に、
出かけることにしました。
着いてみると、
背丈の何倍もある大きな木が、
何百本と並んでいます。
「好きな木で、いくらでもとってもいいよ」と言うので、
はしごをかけて、子供たちは、
たくさんとりました。
帰る途中で、子供たちは何度も、
「あ〜、楽しかった」を、連発していました。
子供が小さい時ほど、
家族一緒に、いろいろな活動をすることは、
家族の絆を強めるのに、
大きな効果があります。
「家族の絆」を強めたおかげで、
みんな結婚した今でも、
娘たちは頻繁に、連絡を取り合っています。
長女の家族は、神奈川県の相模原
次女はミシガン州、
3女はオハイオ州、
4女はユタ州にいます。
そして私たちは大阪府堺市。
皆バラバラになりましたが、
毎日のように、スカイプ(無料のテレビ電話)で
顔を見ながら話し合っています。
昨日は、4女と、3女が、
2女の家に遊びに来ていて、
私たちにスカイプで、連絡をしてくれました。
困った時は助け合って、
互いに愛し合って生きています。
本当に幸福な毎日を過ごせて
有り難く思っています。
家族の絆は、何にも代え難い、大切なものです。
絆を強めるには、
私は、コミュニケーションの量を、
多く取ることが必要だと、考えています。
あいさつ、本を読んであげること、
スキンシップ、食事の手伝い、
一緒に食事をする、一緒にお風呂に入る
子供たちの話に耳を傾ける。
いろいろなコミュニケーションの場を通して、
家族は同じ価値観を持つようになります。
同じ価値観を持つと、同じ方向に向かって
助け合いながら、一緒に進むことができます。
同じ価値観を持つ組織は強いのです。
何があってもくじけず、
幸せに生き続けることができるのです。
育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
PS.
幸せに生き続けることについては、
モルツ博士からもたくさん学びました。
人生というのは、生まれた家庭でほぼ決まるのではないかと思うことがあります。
まず夫婦仲がよくないと楽しい家庭はなりたたない。私の母は横暴な父親と何十年も我慢しながら連れ添って、遺産を手に入れました。本人曰く、「辛い人生だったけど、結局正解だった」今彼女は極楽トンボ生活。でも、失われた何十年は帰ってこない。子供たちも巻き添えにしてそれで良かったのか??私も不幸な何十年を親と一緒に過ごし、でも金銭的な面では心から感謝しています。複雑な気持ち。
「姉妹仲がいいのです~ネ」~~~私の“姉・妹”…子供頃は、まだそんなに“仲が悪くない方”でしたが…??いつの頃でしょうか…??現在の“姉・妹”は、非常~~~~!に、“仲が悪い”です~ネ!…今日!「杉本さんのコメント」でやはり!杉本さんが「素晴らし~~いお父さん…」である事が、如実に見えてきます…。【父親の素晴らしさ…】勿論!子供さんは「お父さんを尊敬されている」のが見えます。私の友人も「四姉妹…」です。友人の父親は“職業が男子高校で教師”…友人は、いつも“父親の自慢大会”でしたが…今思い出しますと、やはり【父親の偉大なモノ】があるという事かしら~~ン!「四姉妹…」が、仲がいい事は、うらやましい~~!!限りです…。私も…
日々努力していきたいと思います…。素敵な「気付き」ありがとうございます…。
私は三人兄弟の末っ子でしたが、親が子供の頃はたびたび旅行に連れて行ってくれたことを思い出しました。
「頼りがないのは元気な証拠」といわんばかりに、親にあまり連絡はしてませんが、
GW、お盆、正月はなるべく帰るようにしています。
お早うございます。今 まさにDrモルツのプログラム、実践中ですが、家族の絆 耳が痛いです。
ところが、いつも好意的でない弟らが
叔母の一周忌の時、ニコニコと まるで
少年時代、仲良くやっていた時の様で
感無量でした。いったいこれから何が起こって行くのか、、、。
小川社長との きっかけが、私の人生を 確実に変えつつあります。
昨年12月から家族になった柴犬が、昨夕の散歩中足を怪我しました。息子と娘も一緒で、すぐにみんなで病院に向かいました。結局、大事をとり一泊のにゅういんになりました。帰宅後、娘と入浴中、この事についてたくさん話しました。その中で、娘の言葉で一番印象に残ったものは、「なんだか、人間みたいに思えちゃう(涙)」でした。大粒の涙をぽろぽろと出しながら、心配していました。息子で印象に残った言葉は、医者へ向かう車中、体操教室後で疲れて寝ていた妹に「こんなときによく寝れるな!起きろ!」でした。妹が車で寝てしまうと、その後おんぶしてやる役目を、いつもはしているので、荷物になってほしくなかったのでしょう。そして、息子なりに、心配して不安だったのでしょう。この出来事で、さまざまな体験が、それぞれでできました。もちろん、私もです!医者から帰るときに私を見つめていた真っ黒なキラキラ光る純真で不安そうな瞳…。それを思い出すと、私も心が乱れます。でも、最善の行動だったとなっとくしているので、この感情に振り回されず、今日の予定を精一杯こなし、夕方に迎えにいってやろうと思っています。