足を失いかけた日の教訓
おはようございます!
マットフューリーです。
私が9歳のとき、私の家の隣にはグレッグという私より
1歳年上の少年が住んでいました。
ある日、グレッグ少年は庭の芝刈りをしていました。
グレッグは、ふだんは行儀のいい少年でした。
蒸し蒸しと暑いアイオワの夏のある夕暮れに、
私はグレッグが芝を刈っているその目の前を歩いて
いたずらをしようと決意したのです。
私はグレッグに何か反応してほしくて仕方ありませんでした。
彼ははっきり反応してくれました。
しかし、私の予想とは 大きく異なる反応でした。
「どいてくれ!」と私に向かって怒鳴ったわけではありません。
芝刈り機から手を放して、私の体を押したのでもありません。
彼は斬新なアイデアを思いついたのです。
彼は芝刈り機を私の足の真上に押しつけたのです。
靴が芝刈り機の下に挟まれた瞬間に
「ぎゃ~!!!」と大声をあげました。
私は地面に倒れ込み泣き叫びました。
私の声を聞きつけるとすぐに、私の両親とグレッグの両親と
近所の人たちがみんな走って駆け付けたのです。
私は寝そべったまま、もうすぐ死んでしまうのだと考えていました。
スニーカーは粉々になってしまい、破片だけが芝生の上に
散らばっていました。芝刈り機のブレードよりも、
私の頭は早く回転していました。
グレッグは文字通り、私のスニーカーと足をぷっつり切り離したのです。
しかしなぜか、これはまさに「神様のご加護」としか言いようがないのですが、
私は切り傷一つしなかったのです。
かすり傷一つしなかったのです。
血が流れた痕跡すらなかったのです。
私は、自分がその日どんなに運が良かったか分かっていませんでした。
両親は私よりこの奇跡について理解していました。
なぜなら、足の価値を本人より十分に理解していたからです。
もし芝刈り機のブレードが私の足を切り刻んでいたら、
生涯にわたって続く痛みや苦しみ、
苦悶を味わうことになっていたことを両親は知っていたのです。
私は指を何本か失っていたかもしれません。
足を失っていたかもしれません。あるいは、
それよりもっとひどい事態になっていたかもしれません。
芝刈り機のブレードが食い込むのを私の足は免れたのです。
その瞬間から、母がいつも話してくれていた守護神の話を
真剣に受け止めるようになりました。
外の世界に守護神がいることを信じるにせよ、信じないにせよ、
心のなかにも守護神が存在していることは
私たちみんなが賛成するはずです。
それは「成功のメカニズム」といわれる守護神です。
このメカニズムに目標や質問や感謝すべき思い出などを与えると、
あなたのところに良いことがもっとたくさん起こるように働きます。
その一方で、あなたは「失敗のメカニズム」も持ち合わせています。
暗くて、悲観的で、陰気なイメージや、怒りや失望、失敗やイライラの
イメージを与えると、もっとそんな気分になるように働きます。
明るいことと暗いこと、そのどちらに気持ちを集中するのかは
あなた次第です。
私はもちろん明るい点に気持ちを向けることをおすすめします。
それでも、もしくよくよ悩んだり、暗いことを考えてしまったら、
そうしている自分を捕まえてこう問いかけてみてください。
「この状況の良い点はなんだろう?」
「どうやったらこの状況を自分に有利になるようにできるだろうか?」
「この状況と同じくらいか、もっと大きな
メリットをもたらす種はどこにあるだろうか?」
このような質問をしたら、心のなかにある潜在意識が一見
ネガティブに見える状況をポジティブに変えるための方法を
見つけ出してくれるかどうか探ってみることでしょう。
何度か潜在意識の力を感じたら、あなたも、いかにポジティブが
ネガティブよりも勝っているのか理解するようになると思います。
ちなみに、私はあのとき以来、芝刈り機の前は二度と歩いていません。
失敗から学んだ教訓ですね。
マット・フューリー
PS:
あなたの中に生まれた時から備わっている成功のメカニズムを
上手く使う方法はサクセスグループで教えているので安心してください。
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私は、自分を抑える、自分が悪いんだと思う、自分を主張出来ない。
そうゆうタイプでした。みんなが外に向いているのに、私は内向きなので調和できなかっ
たのです。今静かに私には出来る。そんな勇気がわいてきました。
ありがとうございます。応援お願いします。2月3日から仕事が始まります。
十人十色人それぞれですから、大切にしたいものや
大切な友人は違うのだと哀しいかな悟っています。
それもまたしかたのない現実ですよね!ただ。。
他人を利用するだけの目的で。。とか踏み台にとか。。
そういうことだけはしない!!という最低限のマナーや
人としての良心プライドは忘れないで頂きたいものです。
私もよく「利用されてるだけだよ」って忠告を受けてます♪
その頃のグレッグという少年にとっての私という存在は
足を失ってもかまわない程の存在だったという哀しい
現実は現実として受け止めています。
長く生きているとよくある事かもしれないです。
グレッグだけじゃないです!
普通の人なら皆持ち合わせる嫌な部分です!
そういう厳しい現実が存在する事から目をそむけて
生きる事の方が危険なのかも知れないですね♪