羨ましくない、
「比べる時は、いい所といい所を比べよう
悪い所と悪い所を比べよう」
最近、よく思うことがあるんだけど、
僕らはいろんなポイントを人と比べている。
人と比べるって言うことは、
基本、よくない事ではあるんだが、
現実的には年中比べている。
自分と他人を比べたり、
他人と他人を比べたり、
モノとモノを比べたり、
これを止める事ができない。
だけど、この人と比べる時に
僕らは感情的な判断が先に来て、
それを確認するだけのような
比べ方をしている時が多いような気がした。
例えば、良くあるのが、
自分の旦那、奥さん、彼氏、彼女よりも
まだ良く知らない人のほうが良く見える時。
家でケンカした後、
会社の同僚が優しくしてきたら、
『この人は、あいつと違って優しいな』
などと考えてしまう。
でも、これってよくよく考えてみると、
同僚のいい時と、自分の旦那・奥さんの
悪い時を比べている事になる。
これってとても不公平な比べ方だ。
本当にフェアに考えるなら、
同僚の優しい時と、旦那・奥さんの
優しい時を比べるべきだ。
そうすると、大方のケースで、
今いる旦那や奥さんの方が自分には
いいなと思えてくるだろう。
こんな事はいろんなところで起きている。
例えば、仕事でもそう。
あっちの仕事の方が楽で収入も高そうだ。
と思う事があるかもしれないが、それは、
今の仕事の辛い部分と別の仕事の楽そうに見える
部分を比べているだけかもしれない。
例えば、こないだ新しいデジカメを
買おうとした時、あるカメラと別のカメラを
比べている様子を見てると、
明らかにあるカメラの悪いところと、
別のカメラのいい所を比べている。
気持ちの上ではもう欲しい方は決まってて
ただ、証拠が欲しかっただけなのだ。
だから、僕らは年中いろんなものを
比べているが、比べる事がそんなに
上手ではないのかもしれない。
隣の芝が青く見える時、
それは比べ方が下手なだけかもしれない。
-小川忠洋
PS:
この考え方は、友達や彼氏彼女とケンカした時、
大いに役に立つ(笑)
自分のセルフイメージが低いうちには、
つい他人と比べてしまう。
モルツ博士の言葉を聞くことで、健全なセルフイメージを
持つことができるよ。
http://www.0stresslife.com/zrl/
お金の価値も国によって異なりますね。フィリピンのお客についてうっかり給料の話をしてしまったらその国の平均から言えば大きな金額だ。でも生活レベルは低い。たとえば日本でランチを食べたらいくら食費や光熱費や税金など細かく話すと「あーそれならあまりよくないね。」と理解してもらえました。でも、人の話を冷静に聞いて判断できる相手でなかったら
「わー日本人って凄く金持ちなんだ!」と誤解され、その国で邦人が危険な思いをするきっかけにもなってしまう。皆、人は自分を基準に他人と
比べて判断するもので95%くらいの人は永遠に自分基準で人と比較し評価することやめないことでしょう。
【追伸…】オモシロイ~~お話!……「戦前の神戸の話」なのですが…神戸大丸前の三沢兄弟商会は、三沢商会婦人装身具の販売店…ある日西洋人が店に来てハンドバックとその他2・3のショッピング……兄の方が、三十円也と勘定書を西洋人に渡した…。西洋人は支払って立ち去った後、計算ミス?ハンドバックのみ計算で残りの2~3の品物が、計算されてなく“十円ばかり損”した。その時弟は舌打ちし『こんな事になるのは、兄貴手前がいつも落ち着いていないで、ソワソワしいるからだ』と、弟にいわれ……弟の強い語調が心臓をかすめて、悲しかった…自分だって『シマッタ!』と思うのに…悲しいのに、逆に慰めてくれるどころか?追撃さらに罵声浴びられ事が悲しく……兄は、気を紛らせるために、盛り場に行きそれでも心が慰まなかった…。その時ふと奥の心耳の中に、大声で怒鳴った声…が…ハッと思い、それから外から聞こえて来た声でなく、耳の中できこえる厳かな“声”…『お前は、そんな場合に他人に同情してやった事が合ったか??』兄は愕然…“内なる声”…本人は、今まで店員に失敗したら先ず!「何故こんなバカな事したんだ!」と罵声・追撃するかのような調子で罵ったものであるが…その気持ちが今わかり、相手の気持ちになって「お前失敗した~ナ!」と追撃する“言葉”が如何に心傷つけるかを知った…そして内なる声は「お前!他人に同情してやった事があったか?」兄はその“言葉”を心で繰り返した。これを読んで…「比較」もこの様に心の向上が出るのなら~~「比較論」も進歩です~~ネ!谷口雅春著 『生命の実相』36巻にて引用しました…!
【羨ましい~~】この感情は、若い時は多い私でしたが、何かに付けて比較していましたが……ほとんど“ネガティブな感情”をしめていますが?“ボジティブな感情”の場合は、比較は無い様に思えますが…「良い比較=悪い比較」????あるのです~ネ!私が、比較する場合、
ほとんど私自身が上に置いて“高みの見物”の様な見方かしら~~ン??これは対象にされた方は、気分を害するのでは?更に失礼な事だと
思います。なので、最近の私が比較の場合は「吸血鬼達…」ですネ!何も感情がありません時に、急に現われて来ます…。きっと“整形…後”
に出て来ますから?多分“比較”なんでしょうか…?*どちらの方が綺麗に見えるか~?もしくは若く見えるかのか?比較なんでしょうか?
これ“最初の印象”から来るのでしょうか?始めてみた時の衝撃な感情が…後にこの様な“感情”が出来る原因?更に男性の方が比較しますと…更にエスカレートして気がつくと“整形…”の繰り返しなんでしょう~ネ!!これ見ていますと面白いです~よ!今の私は、逆に現われても気にしなくなりましたが…“比較”されていますのは?私の有利が見えて来ますこの頃ですが…なるべく“比較論”したくないです~ネ!
精神の発達は、どうなんでしょうか…?小川さんもスタップへの見方?なされているのでしょうか…?その時の相手側の感情はどうなのでしょうか…?された人は気分を?><…ましては、“奥さんの比較”される人…これも失礼ですが…相手の“美点”が見えないようでしたら~それは“夫婦”として成立??いつまで~続くの??「比較論」以前にモット!別の角度でとらえて行きたいです…。それが“精神向上”になるのならば…「比較論」も考えますが…?
製品を比べるのはともかく、人間を比べるのはセルフイメージが低かったときに害ばかりだということを思い知りました。
不公平な比べ方をしている、という指摘はいわれてみればそのとおりですね。
小川様
こんにちは。いつもメルマガ楽しく拝読
しております。
ところでリンク先おかしくないですか?
英語の文章がひたすら書いてあるサイト
に飛びます。
モルツプログラムに大変興味を持ってい
ので早いとこ訂正お願いします。
比べ方。なかなか面白かったです。確かに比べ方が問題でしたよね。有難うございました。
家族のそれぞれの良いところに気づいて、それをその相手に伝えることができて、さらには、それを伝えた家族の人が喜んでくれる!というサイクルができている家族は、他から羨ましがられる家族となる。
さて、我が家はどうであろう?
子供達とは、これが確立していると思うが、人生のパートナーとは、全てではない。
我が子は、ゼロから教えることができたが、パートナーは既に成長し、本人の常識ができているので、変わらない部分もある。
だから、第三の案をその家族オリジナルで作ることが必要とされるのだ。
羨ましい?それは、過去の自分を否定することでもある。私は、羨ましいなんて感情が芽生えたら、そこに到達することを考える。それが、自分を大切にすることだから。
だから、羨ましくなる状態になるものを探す。その発見は、私の更なる成長を意味する。
なんだか、書き方が固くなっちゃった!心の声を記入すると、なぜか愛想がない。